なんの責任が問われるのか
築地市場の豊洲移転問題に関連して、先日行われた石原元都知事の会見の全文書き起こし記事を漠然と読んでいるときに、目に入ったコメントがありました。
作為に対する責任と不作為に対する責任がある
※本文は、豊洲移転問題は一切関係ありません。。
この言葉はとても腹落ちした言葉だったので、メモです。
事を行ってその結果に対して負う責任と、なすべき事をなさなかったとき負う責任が
あるんだということで、私は勝手に解釈をしているわけですが。
とくに「不作為に対する責任」
これ、あるわー。自戒。そして、気づきです。
本当はあの時にやっておくべきだったのに、やらないかったなとか、
そっと蓋してみて見ぬふりしたとか。
面倒だ。とか。
実際、事が行われていないので、気づかれないことが多く、自分でも気が付いていないこともあるかと思います。
当然、重要度が低く、緊急度も低いものは該当しませんが、
重要度が高く、緊急度が低いものが多くこれに該当するのかなと思います。
緊急度が曲者で今すぐにやらなくても、明後日でいいやとか
誰かがやるだろうとか、色々な理由付けをし不作為に陥る。
種をまかないと花は咲かないのに、咲いている花をからさないことに注力する。
でも、花はいつか枯れてしまう。枯れてから種をまいても、花がさくには時間が
かかり、花の咲いていない期間があって、庭は閑散とします。
不作為に対する責任。
豊洲問題に教えられた教訓です。
私は、安全で美味しいお魚が引き続き食べたい。